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パクリについて(その1)
小林亜星さんが著作権の"盗作裁判"裁判で敗訴しました。
これは服部克久さんの「記念樹」という曲が、
亜星さんの「どこまでも行こう」という曲を盗作したものだと、
亜星さんが訴えを起こしていたもので、
裁判所は「これらの2曲は違うもの」という結論を出し、亜星さんの敗訴という事になった模様です。
確かに
この2曲の歌い出しのメロディーはよく似ていると思うし、
亜星さんが文句を言いたい気持ちはワカらないでもないけど、
実際のところどうなンでしょう?
この程度の似ている曲なんていくらでもあるんじゃないの?
・・ってのが僕の感想。
そもそもメロディーってのは、
例えば1小節なら4つの4分音符、
8分なら8個のリズムで構成され、
音階だって基本は12音階しかないのですから、
絶対的な組み合わせの数って限界がありますよね。
その組み合わせの中から歌えるメロディーとしては、もっと少なくなってしまいます。
ここでいう歌えるってのは、Be-BOPのようなメカニカルなフレーズや、アル・ジャロウとかボビー・マクファーリンとかマンハッタン・トランスファーとかじゃないと歌えない様なものを省くと・・って意味です。
そういう意味では実際使える音階だって8音階+αだし、16分以下の音符だって、早口言葉やRAPじゃないんだから、そうそう使えないとなると、
その範囲でやろうってんだから限界はあるし、
譜面上に書いただけのメロディーとしては特にパターンが似通ってきてしまいます。
亜星さんによると、曲の何小節かが似ているどころじゃなくて、
全体の75パーセントの音が一緒だということらしい。
でも裁判的に判断しようものなら、25パーセント違えば、「似ているけれど違う曲」となるのは当然の結論だと思いますよ。理論的な結論としてはです。
実際に音楽をパーセンテージで示したって全然意味ないと思うんですがね。
亜星さんがこんなことを言っていました。
モナリザに髭を付け足したり、「蛙とびこむおとがする」なんてのが認められるか!・・子供の喧嘩じゃないんだからって思いません?
これは認めるも認めないもただのパロディーですよね。
音楽でも実際に、1小節に1音しか変えないで作ったものになんか、聴衆が評価をするとは思えないし、盗作と呼べるほどのものでもないとは思うんですがね。
僕らの感覚からいえば「どこまで・・」のメロディって、
既に頭の中に入っていて、スタンダードじゃないですか?。
いわば名曲の範疇だと思うンですよね。
だけど「記念樹」なんて曲はこれまで知らなかったし、
聞いても
「ああ「どこまでも行こう」ぽいイイ曲じゃない」ぐらいで、
ある種、格が違うって感じでじゃないですか?。
つまりここいら辺の曲は、「どこまでも行こう」系の(なんか小学校の合唱コンクール的な)ジャンルって言えちゃうって事で、それはある意味、絶対的な勝ち負けは決まっちゃってるのではないかと思うんですよ。
ベートーベンがリッチー・ブラックモアを訴えるようなもんじゃないんですかね。
服部さんが頭の中に(意識せずとも)「どこまで・・」があったとしても、それにインスパイアされて作曲したものなら、それを盗作と言うのはおカド違いで、むしろそれは「どこまで・・」の評価に繋がるものである筈なんですよね。
まぁ、それで金儲けされるって事が許せないんでしょうね、きっと。
結局個人と個人の問題のような気がしますが。
(つづく)
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